ゲルの医療応用
生体組織に近い性質を持つハイドロゲルを用いて、「次世代人工軟骨」や「生体内における軟骨組織再生」をはじめとする、様々な医療に役立つゲルの研究・開発を北大医学部と共に進めています。
1. 軟骨と人工関節について
軟骨組織は、約5%のプロテオグリカンと15%程度のType IIコラーゲンという生体高分子がネットワークを形成し、約75%の水分を保持した「天然のハイドロゲル」とみなせます。この高い含水率のおかげで関節の低摩擦性や高い衝撃吸収性を実現しています。しかしながら、この組織の中には僅か1%程度の軟骨細胞しか存在せず、また細胞への栄養供給経路である血管がほとんど通っていないため、疾病や怪我、老化等によって劣化・欠損が生じても自然治癒はほとんど望めません。特に高齢化が加速的に進行している現代社会では、ほぼすべての高齢者が例外なく様々な程度の関節症を患わっていると言われています。現在有効な根本治療として、人工関節への置換手術が挙げられますが、残っている正常組織も切除せざるを得ないという問題に加えて、長期間使用においては「摩耗による人工関節の緩み」という大きな臨床的問題が存在するため、より実際の組織に近い次世代人工軟骨や、究極的な組織再建が望まれています。ここでは、当研究室で開発された高靭性ダブルネットワークゲル(通称DNゲル)を人工軟骨及び軟骨再生用足場材料へ適用した研究例を紹介します。これらは、北大医学部安田先生のグループとの共同研究の成果です[1]。
1−1. 高強度ゲルの人工軟骨としての可能性
ソフト&ウェットなハイドロゲルは、生体組織と多くの類似点を持っていますが、最大の欠点はその力学物性の乏しさでした。当研究室をはじめ、2000年台初頭からこれまでの常識を覆す極めて高強度かつ高靭性なハイドロゲルが次々と開発され、それらの機械的強度が生体構造材料として満足する領域に到達したことで、金属やセラミックスのような既存のハードマテリアルから、天然組織の性質により近いハイドロゲルを用いた次世代医療材料の開発が進みつつあります。ゲルの人工関節への臨床応用として、高い耐摩耗性と低摩擦性が必要です。私達は様々なDNゲルを作製し、硬質アルミナ球を押し当て往復100万回繰り返し擦る摩擦試験を行い、どの程度ゲルが削れたかを評価しました。その結果、耐摩耗性は現行の人工関節に使われている高密度ポリエチレンと同程度と優れた結果を示しました。
また、計算された摩擦係数もポリエチレンと同程度であり、現行の人工関節として要求される高い耐摩耗性と低摩擦性を両立していることがわかりました。さらに、より実用的な環境を再現すべく、ウサギの膝関節に対して同様の摩擦試験を行ったところ、実際に関節が可動する際の摩擦係数よりも低い値を示し、また相手関節面に組織的なダメージは認められませんでした。このことから、DNゲルは、十分な強度を有し、かつ現行の人工関節と同等の低摩擦性及び耐摩耗性を兼ね揃えた材料であると言えます。現在は、ゲルの骨への接着方法の確立等の周辺技術も含めて、企業と共に共同研究を進め臨床応用を目指しています。
1−2. 高強度ゲルによる軟骨組織再生
先述の通り、軟骨はほとんど自然治癒が望めない消しゴムのような使い切りの組織です。そのため、生体内で自然に再生しないということが医学の常識でした。しかしながら、DNゲルの人工関節への応用を目指した研究の中で、偶然にもDNゲルが軟骨組織を再生させる性質があることを私たちは発見しました。円柱状のDNゲルをウサギの関節に作成した少し深めの欠損部へ埋植したところ、術後2週間程から徐々にDNゲル上のスペースに硝子軟骨様組織ができ始め、4週ではっきりとした組織が形成されることがわかりました(図の赤い部分に相当)。
比較として同サイズの欠損だけ作成し、他の一般的なゲルや高密度ポリエチレンを埋植したもの、及び何も埋植しない状態と比べると、DNゲルのときだけ明らかな再生が認められました。硝子軟骨形成や軟骨細胞への分化に関わる遺伝子発現量もコントロールと比べて極めて高く、DNゲルが軟骨組織再生を誘導していることが示されました。この結果は、培養細胞注入なしに生体内で軟骨組織を再生させた世界で初めての研究成果です。
2. ゲルの生体親和性
身体に埋植される生体材料が満足しなければならない重要な要件として、埋植部位に強い炎症作用を起こさないことが挙げられます。炎症は、マクロファージと呼ばれる白血球の一種が体内の不要物や異物を消化する際に起こります。私たちはプラスとマイナスの両方の電荷を1つの分子に有するゲル(双性イオンゲル)を作製し、マクロファージの接着しやすさを評価しました。結果として、マクロファージは全く接着しないことがわかりました。比較として、細胞培養用のポリスチレン皿上にマクロファージを播種すると、たくさん接着していることがわかります。
またプラス電荷とマイナス電荷のモノマーを混ぜて正味の電荷がゼロになるように作製したゲルにおいても、マクロファージの接着はほとんど認められなかったことから、電気的に中性のゲルは高い生体親和性を有することが示されました。
参考文献
- K. Yasuda, J. P. Gong, Y. Katsuyama, A. Nakayama, Y. Tanabe, E. Kondo, M. Ueno, Y. Osada,Biomaterials 2005, 26, 4468-4475.
- K. Arakaki, N. Kitamura, H. Fujiki, T. Kurokawa, M. Iwamoto, M. Ueno, F. Kanaya, Y. Osada, J. P. Gong, K. Yasuda,J Biomed Mater Res A 2010, 93A, 1160-1168.
- K. Yasuda, N. Kitamura, J. P. Gong, K. Arakaki, H. J. Kwon, S. Onodera, Y. M. Chen, T. Kurokawa, F. Kanaya, Y. Ohmiya, Y. Osada,Macromol Biosci 2009, 9, 307-316.
- H. Y. Yin, T. Akasaki, T. L. Sun, T. Nakajima, T. Kurokawa, T. Nonoyama, T. Taira, Y. Saruwatari, J. P. Gong,J. Mater. Chem. B 2013, 1, 3685-3693.
- T. L. Sun, T. Kurokawa, S. Kuroda, A. Bin Ihsan, T. Akasaki, K. Sato, M. A. Haque, T. Nakajima, J. P. Gong,Nat Mater 2013, 12, 932-937.
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