北海道大学 先端生命科学研究院上原研究室

Uehara Lab, Faculty of Advanced Life Science, Hokkaido University

全ゲノム倍加の機構の違いによる細胞の性質変化についてのPreprint

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  • 2025年8月31日

博士3年の猪子雅哉君の研究をbioRxivに投稿しました。preperintはこちら

(背景)
全ゲノム倍加(Whole-genome duplication)は、発生、老化、がん、進化などさまざまな生命現象の局面で生じ、細胞機能や運命の多様化を引き起こすことでこれらの現象を駆動する作用があると考えられています。全ゲノム倍加はそれが生じる文脈によって幾つかの異なるタイプの機構で生じますが、その機構の違いはこれまで明確に区別されて議論されておらず、機構間にどういった差異があり、その差異にどういった生物学的な重要性があるかは不明でした。

(方法と結果)
ヒトの倍数性研究モデルとして汎用される大腸がん由来HCT116細胞を材料に、薬理学的手法でmitotic slippage(紡錘体機能不全により染色体分配がスキップされる)とcytokinesis failure(染色体分配は正常に起こったあとに、細胞質分裂が失敗しスキップされる)による全ゲノム倍加を再現し、これらにより生じる細胞集団の性質の違いを調べました。

mitotic slippageで生じる全ゲノム倍加細胞は、cytokinesis failureに比べて顕著に生存性が低く、特に倍加後の初期分裂後に生き残る細胞が少ないことを見出しました。初期分裂の染色体分配パターンの定量イメージング解析から、両条件間の相同染色体の空間配置の違いがこのような差を生むことを突き止めました。姉妹染色体分離を伴わない全ゲノム倍加機構であるmitotic slippageでは、その後の相同染色体の配置がcytokinesis failureの場合に比べて偏り、引き続いて起こる多極性細胞分裂で致死的な染色体喪失が起こる確率が顕著に高まっていることがわかりました。最後にmitotic slippageの際に人為的な姉妹染色体分離を引き起こす実験条件を作出し、これによりmitotic slippageに特有の増殖障害が有意に緩和することを明らかにし、姉妹染色体分離の有無が全ゲノム倍加細胞の増殖性を左右する要因であることを示しました。

(意義)
これらの発見は、なぜ特定の生命現象においては特定のタイプの全ゲノム倍加が(一見すると)選択的に起こるのかについてヒントを提供するものと考えられます。特に、発生の過程で起こる生理的な全ゲノム倍加は病理的なものに比べてcytokinesis failureを採用しているケースが圧倒的に多いことが知られますが、我々の発見は、cytokinesis failureによる全ゲノム倍加を採用する具体的なアドバンテージを示唆するものと言えます。さらにこれらの結果は、全ゲノム倍加細胞の増殖性を制限する具体的な細胞プロセス(倍加時の姉妹染色体分離や、続く多極分裂における相同染色体の分配動態)を特定したことで、多様ながんを引き起こすリスクをもった全ゲノム倍加細胞の抑制のための重要なヒントを提供するものと考えられます。

本研究は「全ゲノム倍加の起こり方が違いに意味はあるのか」というかなり抽象的な問題設定から開始したテーマで、猪子君の長い間の試行錯誤の末に具体的な現象や結論に辿り着きました。同じく博士学生の楊君がreagent作製や一部予備実験、慶応大の塚田さんに画像定量解析法の開発でご参画いただきました。