北海道大学 先端生命科学研究院上原研究室

Uehara Lab, Faculty of Advanced Life Science, Hokkaido University

Research 研究内容


倍数性ダイナミクスの秩序と意義の解明

倍数性とは細胞がもつゲノムセット数のことをさします。わたしたちの体をつくる細胞は、母方父方のゲノムを1セットずつ引き継いだ二倍体の倍数性を基本とします。細胞はこの2セットのゲノムを正確に複製して、次世代細胞に等分配することで二倍体状態を厳密に保持しながら増殖します。生物学の教科書では、この二倍体状態から逸脱しないことが「正常」であるとみなされています。一方で、様々な生物の体を見渡すと、この基本の倍数性から逸脱した細胞が実に多く存在します。つまり、実際の倍数性制御には、従来の教科書的イメージとは相容れない、変化に富んだ側面(=倍数性ダイナミクス)が備わっています。倍数性の変化は、がんや初期発生障害などの重篤な疾病の原因になる一方で、多くの正常組織における細胞機能の多様化のために必須の役割を果たすことがわかってきました。また、動植物菌界で見られる種々の環境応答においても特徴的な倍数性変化が観察されています。さらに生物進化における種分化の過程でも、倍数性変化が起こった形跡が多くみられます。このように倍数性変化は、正負の両側面で、細胞・生命システムの劇的な性質変化を引き起こす現象であると考えることができます。しかし、二倍体状態を逸脱した細胞がたどる運命は多様で複雑であるため、倍数性ダイナミクスにどのような秩序が備わっているのか、その秩序を司る仕組みはどのようなものであるのかは全く明らかでありません。わたしたちの研究グループでは、倍数性ダイナミクスに潜んだ秩序を明らかにして、生命がこの秩序を利用してしなやかな多様性を実現する原理に迫ることを目指します。

取り組んでいる問い、課題

・細胞分裂異常(染色体倍加)を起こした細胞がたどる運命はどのようなものか。

細胞分裂制御は生命に必須で、その制御破綻は致命的影響をもたらします。しかし、実際に分裂異常を経た細胞がたどる複雑で一様でない運命について多くのことはわかっていません。わたしたちは、最近開発した光によって細胞分裂を阻害できるツール(文献)などを駆使して、一過的・局所的に生じる細胞分裂異常が、細胞集団や個体にどのような長期的作用をもたらすかを定量的に理解することを目指しています。

・細胞はどのように異なる倍数性状態に適応するのか。

多くの動物細胞が二倍体を最安定状態とする一方、ゲノムが倍加、もしくは半減したような状態で、安定増殖を続けるケースも多く見られます。倍数性の増減は細胞の中身の数量を劇的に変化させるため、恒常性維持の観点では多大な負担を伴う変化であると推察されます。その変化に耐えるために細胞には相応の仕組みが備わっているのではないか、とわれわれは考えます。遺伝的背景が同一で異なる倍数性レベルを持つ細胞、個体モデルの比較分子細胞生物学を通して、倍数性ダイナミクスに伴う極端な環境変化に細胞が適応する仕組みを理解します。

倍数性ダイナミクスによる新奇形質獲得の仕組み

発生、適応、進化の過程で倍数性変化に伴う細胞の新奇形質の発現が見られます。しかし、倍数性の変化が細胞の内部プロセスを変化させ、有用な形質が引き出される全過程がブラックボックスのままです。倍数性変化の過程で起こる細胞内構造、成分、制御状態の変化を網羅的に明らかにすることで、倍数性ダイナミクスを利用した新奇形質獲得の仕組みに迫ります。

・動物が二倍体ベースでないと正常な個体を形作れないのはなぜか。

上述のように細胞レベルでは倍数性変化への高い順応性が見られる一方、全個体レベルで一倍体化もしくは四倍体化した動物は多くの場合胚性致死となります。これは植物で個体レベルの倍数性変化が許容されることと対照的ですが、なぜ動物では倍数体の許容性が低いのかは全く明らかでありません。倍数性変化への許容性の低い一般的な動物種(マウス、ゼブラフィッシュ)と例外的に許容性の高い動物種(アリ)の比較を通して、動物の全個体倍数体寛容性を決定づける原理の理解を目指します。

・細胞工学に有用な安定一倍体細胞株の樹立

すべての遺伝子を一コピーしか持たない一倍体細胞は、遺伝学や細胞工学の優れたツールになります。しかし、動物体細胞においては一倍体状態は極めて不安定で短期間の培養で二倍体化してしまいます。一倍体不安定性の原理を解明することで、一倍体状態の安定化を実現し、細胞工学や合成生物学に有用な一倍体細胞株を樹立することを目指します。