北海道大学 先端生命科学研究院上原研究室

Uehara Lab, Faculty of Advanced Life Science, Hokkaido University

細胞分裂不安定性原理に基づいた安定一倍体細胞の創出(bioRxiv)

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  • 2026年3月25日

ヒト細胞株をモデルに、一倍体状態に特有のゲノム不安定性の分子的要因を特定し、その改変による安定一倍体細胞の樹立に成功した研究をbioRxivに発表しました。この研究は、本ラボで博士号を取得した吉澤さんが行った研究です。論文はこちらです。

(背景) ゲノムを1コピーしかもたない1倍体細胞は効率的な遺伝子改変が可能なため、細胞工学や遺伝学の強力なツールとなります。ヒトを含む哺乳類動物の生活環においては天然の1倍体は配偶子に限られますが、単為発生やがん化の過程で生じる哺乳類1倍体細胞は、ゲノム編集が高度化する今日、ますます重要性が高まるバイオリソースです。しかし、哺乳類1倍体細胞は種を問わず著しい染色体不安定性を抱え、日常的な培養作業において速やかに2倍体化してしまうため、その汎用性が大きく制限されます。我々はこれまでの研究により、1倍体状態で特異的に起こる細胞分裂異常が2倍体化を引き起こす直接的原因であることを見出してきました(Yaguchi et al., 2018 J Cell Biol, PMID: 29712735; Yoshizawa et al., 2020 Front Cell Dev Biol: PMID: 32850837)。一方、1倍体で分裂異常が起こる分子的要因が全く明らかでなかったため、これを遺伝子制御によって克服し、1倍体を安定化することは長らく不可能でした。

(方法・結果) 遺伝的背景が同一な1倍体、2倍体ヒトHAP1細胞株における細胞分裂ダイナミクスの比較解析から、1倍体状態に特異的に、分裂期染色体の分配を司る細胞装置である紡錘体構造が脆弱化していることを突き止めました。紡錘体は、2つの中心体を極とする双極性構造を取ることで、複製染色体を細胞中央に揃えてから二つの娘細胞へと等分配する機能を果たします。ところが、1倍体では中心体の成長が悪く、紡錘体が双極構造を形成したり維持したりする力が著しく減弱していることが分かりました。遺伝子機能解析から、このような紡錘体の減弱化が、中心体足場をつくるCep192という遺伝子が2倍体に比べて半減していることに起因することを突き止めました。興味深いことに、Cep192の量を2倍体並みに補填するだけで、1倍体紡錘体は正常な強度を取り戻し、Cep192の分解を制御するユビキチンリガーゼのTRIM37のノックアウトと組み合わせると、1倍体状態特有の染色体不安定性が劇的にされて、非常に安定な1倍体細胞株を樹立できることが分かりました。 さらに、この発見に着想を得て、我々はgenome-wide CRISPR-activation技術を用いて、全遺伝子の中から、遺伝子量の補填によって同様に1倍体を安定化できる分子を探索し、グルタミン酸トランスポーターの1種SLC1A2をはじめとする複数の標的を同定しました。

(意義) 本研究の意義は主に二点に集約されます。 一つ目は、哺乳類1倍体細胞を安定化できる具体的な分子標的を複数提示した点です。これにより利用性が制限される多くの1倍体リソースについて、問題解決の糸口を提供できると期待されます。1倍体細胞の維持は煩雑であり、例えば我々の研究室では純粋な1倍体細胞で実験するために、1週間以上継続培養した細胞はデータ取得に用いない、などのルールを敷いております。定期的なフローサイトメトリーによる分取のルーチンからの解放は、1倍体を利用する研究者層を大きく押し広げると考えられます。 二つ目は、1000をくだらない数の遺伝子が複雑かつ多段階的に絡み合って形成、機能する紡錘体の性質を、たった1つの遺伝子によってクリティカルなかたちで改変できた点です。これは、「紡錘体を遺伝的にエンジニアリングする」というコンセプトの有効性を提示する発見であり、分裂不安定性により制限される多くの生物学的課題(がんにおける形質制御や細胞治療における異数性進行の抑制など)の解決に向けたヒントを提供すると考えられます。

本研究におけるゲノムワイド遺伝子スクリーンはシンガポール大学メカノバイオロジー研究所のJin Zhu博士の研究チームにて吉澤くんが数か月間修行させていただき、同所の先端的な研究環境を十全に活用することで実現しました。