全ゲノム倍加後の細胞増殖規則を調べた研究のプレプリント発表
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- 2026年3月14日
広範な生命現象に関わる「全ゲノム倍加」が生じた後の複雑な細胞増殖を長期イメージングで調べ、そのパターン形成の鍵となるファクターを明らかにした研究をbioRxivに発表しました。この研究は本ラボで博士号を取得した楊光さんが中心となり進めた研究です。リンクはこちら。
背景:
細胞がゲノムを複製した後に、それを均等分配することに失敗し、もとの倍のゲノムコピーをもつ状態になることを全ゲノム倍加といいます。全ゲノム倍加は細胞の性質を大きく変化させる引き金になることが知られ、細胞の分化やがん化、老化など様々な現象が起こる原因になると考えられています。とくに広範な固形がんの形成初期に全ゲノム倍加が起こることが知られ、がん病態形成に重要な寄与を果たすことが示唆されていることから、全ゲノム倍加細胞の性質を知り、その制御を可能にすることが生物学・医学分野の重要課題です。
しかし、全ゲノム倍加はDNA複製過程や細胞分裂過程の異常化により著しい染色体不安定を引き起こし、極めて不均一な子孫細胞を形成することから、全ゲノム倍加を起こした細胞を一律に捉えてその性質を理解することは不可能です。これまでの多くの研究では、全ゲノム倍加が起こった直後の細胞や、倍加後に数週を経てクローン増殖性を獲得した全ゲノム倍加細胞株が用いられてきました。このため、全ゲノム倍加した細胞集団が数日をかけて取捨選択され、生存性のクローンが増殖性を得るまでの全過程についての知見は極めて乏しいのが現状でした。
研究方法:
本研究では、蛍光ヒストンタンパク質を安定発現することで間期の細胞核や分裂期染色体を可視化したヒト大腸がん由来HCT116細胞をモデルに用いて、これを全ゲノム倍加誘導したのち、6日間連続で細胞の増殖の様子を蛍光顕微鏡でライブ観察しました。合計で150以上の全ゲノム倍加細胞系譜の追跡によって、どの細胞がいつどのようなパターンの細胞分裂をしながら増殖したり、細胞死や休止状態に陥ったりするかを逐次記録し、定量解析しました。本論文の予備実験も含め、非常に膨大な細胞画像データを楊君が入念に、手作業で解析していきました(全ゲノム倍加後の細胞集団は後述のように分裂のパターンや細胞の動きが極めて複雑なため、既存の細胞追跡アルゴリズムの適用による定量解析が困難で、このような手作業を要しました)。予備解析では博士課程の猪子君も膨大な画像解析に参加し、本実験の追跡の一部は修士過程の小倉君も担当しました。系譜によっては、一つ解析するのに数日を要するケースもあり、非常に骨が折れる作業を伴いました。これが、先行の知見が乏しい理由でもあると思います。
成果:
無作為にサンプリングした150超の全ゲノム倍加後系譜を、5日時点までの細胞数の増え方を基準に「増殖性」と「非増殖性」に便宜的に分類したところ、前者に属するのは1割以下の系譜でした。これは全ゲノム倍加後の多くの細胞が増殖性を得ることなく死滅していくことを示唆します。それぞれの系譜の各世代で起こる細胞分裂とそれに続く娘細胞の運命の関係を調べると、多くの細胞死に陥る娘細胞が直前の分裂期に多極性(注1)の染色体分配を経験していることがわかりました。多極性の染色体分配は、とくにそれが大規模な染色体の喪失を引き起こしたり、繰り返し起こったりする場合に高頻度に細胞死を引き起こしました。このことから、多極性の染色体分配がいつどの程度の頻度で発生するかが、個々の全ゲノム倍加系譜の運命を決定づける大きな要因になっていることが示唆されました。
安定増殖性を獲得した系譜に着目すると、これらは大きく2つのパターンに分類されました。一つは、全ゲノム倍加直後にまず等分裂を起こし、形成される二つのサブ系譜のうち片方が多極性の染色体分配が頻発して死滅する一方で、もう片方のサブ系譜が安定増殖を獲得するというものです。これは、致死性の分裂が起こるリスクを早期に片側のサブ系譜に押し付けることで残った系譜の増殖性を保証する生存戦略と解釈できます。米国グループの先行研究では、全ゲノム倍加で生じる余剰中心体を最初の分裂時に片側の娘細胞に押し付ける現象が報告されており(Baudoin et al., 2020 eLife, PMID: 32347795)、この現象が上述の系譜生存戦略を可能にしていると考えられます。他方、全ゲノム倍加後に安定増殖性を獲得する系譜には、初期に起こった多極性染色体分配を生き延びた細胞だけで構成されるものも多く見られることがわかりました。このような系譜内では子孫細胞のゲノム構成には著しい不均一性が生じていることが想像されます。
これらの結果を総合し、全ゲノム倍加後の多極性の染色体分配の発生パターンが各系譜の生存の有無に加え、その不均一性の度合いにも大きく関与する可能性が明らかになりました。現在我々は、この研究の次の段階の探究として、上述のような経緯で生じる全ゲノム倍加サブクローンにおいて実際にどのようなゲノム異常が生じ、それがサブクローンの性質にどのような作用をもたらすのかについてオミクス解析を駆使した検証を進めています。これらの試みを通して、全ゲノム倍加細胞の形成、発展の各段階でその抑制の鍵となる因子の特定が可能になり、全ゲノム倍加が引き起こすリスクの制御に資する知見が得られると期待されます。
本研究は、慶應義塾大の舟橋先生、塚田先生、北大農学部の佐藤先生との共同研究として実施しました。
注1: 多極性の染色体分配について。通常の細胞分裂では双極性の紡錘体によって均等な染色体分配が行われます。しかし、何らかの理由で紡錘体の極が3つ異常になる「多極化」が起こると、染色体がランダムに三方向に分配され、形成される子孫細胞のゲノム構成が著しく異常化します。全ゲノム倍加の際には、染色体の他に、紡錘体の極を形成する中心体も倍増してしまうため、これによる多極性分裂異常のリスクが生じます。余剰な中心体を引き継いだ子孫細胞では慢性的に多極性分裂異常のリスクを抱えることになり、全ゲノム倍加系譜の複雑な分裂パターンを生み出す要因となります。