北海道大学大学院先端生命科学研究院 細胞ダイナミクス科学研究室(第3研究室)先端融合科学研究部門 

3. がん細胞の悪性化

がんとはどんな現象か?

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 3つめの研究テーマが、がん細胞の浸潤(しんじゅん:染み込み広がること)です。まず「がんって何なのか?」ということからお話しします。例えば、食道や消化管なら、この図のように管を作っています。ここに食べ物が通るわけです。そして、その周りがコラーゲンを主成分とするゲルです。細胞たちはこうして集まって、組織を作っています。

 この組織が、放射線や発ガン物質などにさらされるとダメージを受けます。細胞自身には修復機能があるので自分で治したりするのですが、時々、失敗します。

 そうすると、がんという状態になります。最初にお話ししましたように免疫細胞がいるので、がん細胞の傍に近づいてはやっつけてくれています。ただ、それが間に合わない時や、免疫力が落ちて免疫細胞が働けない時があります。

イラッとすると、免疫細胞の動きが一斉に止まる?

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 すこし話が逸れますが、怒ったり、いらいらするのは危険です。イラッとしたり、カッとなると、免疫細胞たちは一斉にピタッと動きを止めることが報告されています。これは理に適っていて、もともとは人間も野生動物だったので、狩りだとか襲ってくる動物をやっつけたりだとか、命がけで戦わなきゃいけなかったんです。そんな時には、もう免疫細胞を動かしたりしている場合じゃなくて、そんなことにエネルギーを使っていられないわけですよ。だからなのか、怒ると免疫力が下がるといわれています。逆に、笑うとがん細胞をやっつける細胞(NK細胞)が活性化することも報告されています。いつも穏やかに笑って暮らすことは、すごく大事なんですよ。

――病院で、落語を見せると多くの患者さんに良い効果があったという話を聞いたことがあります。

 まさに、そうなんです。生理学的にもデータで示されています。なので、いつもイライラしている人は、がん細胞をやっつけられないので、知らないうちにがん細胞が増えているかもしれません。

勝手に増えて、動き回るがん

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 がん細胞の特徴の一つとして、「無秩序に増える」ということがあります。他の細胞たちは「増えなさい」という命令が来ない限りは増えないんですけれども、がん細胞は自分でどんどん増えます。それが塊になると、いわゆる腫瘍という状態になります。しかしですね、増える分にはまだマシなんです。その部位を取ってしまえばいいので、早く発見できれば治すことが可能です。やっかいなのは、動き出すことです。組織のコラーゲンを溶かして、どんどん体の中に入っていきます。この状態を浸潤といいます。そして、いずれ血管に到達して血流に乗って体中を駆け巡ります。これを転移といいます。多くの場合、血液がたくさん集まる臓器、たとえば肝臓や肺、骨髄などに転移していきます。

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 この図は日本人の死因を示す統計グラフです。戦後まもなくから厚労省が毎年統計を取っています。がんだけは右肩上がりで、ひたすら増え続けています。少し前は「3、4人に1人はがんで亡くなる」という状況だったのですが、最近は「2人に1人はがんで亡くなる」という時代になってきました。しかも、がん患者さんの死因の8割から9割は転移が原因といわれています。先ほど述べたように、増える分にはまだ手の施しようがあるのですが、動き出すと探すのが大変で治療が困難になっていきます。
 つまり、がんの研究というのは、「なぜ、がんになるか?」ということも大事なのですが、「動きをどうやって止めるか?」ということが、すごく大きなテーマなんです。がん関連の学会でも大きな課題として扱われていて、世界中のがんの研究者が研究しているというのが現状です。
(※詳しくは、研究内容「放射線耐性をもつ、がんの悪性化について」をご覧ください)

原初の細胞のようなふるまい

 この図は、マウスのがん細胞をコラーゲンのゲルに埋めて、動画を撮ったものです。最初のうちは、ひたすら増えます。ですが、ある程度まで増えると、今度は周りのコラーゲンを溶かして、外に移動します。動きを開始することで周りに染み出すわけです。もしも近くに血管が走っていると、その血管の中に入っていきます。それも、自分たちで血管を呼び寄せるんですよ。血管を作る因子を出して、遠くにある血管から支流を作らせて、近くにどんどん呼び寄せます。

――どうして、そんな万能なことができるのでしょうか!?

 実は、まだ仮説なのですが…、がんというのは発生段階に戻っている状態なのかもしれない、という説があります。もともとは、どの細胞も動くことができたわけですし、そういうことができたお陰で、生き物の形ができたわけです。細胞同士の間に隙間を空けて入ったりとか、周りを溶かして中に入ったりとか、そういうことをしながら形を作って出来上がったのが、生き物の形なわけです。なので、どの細胞もその能力を忘れていないのかもしれません。ただ、もうその能力は使ったらいけませんよ、と封印されているだけで、遺伝子に異常が生じることで、無秩序に増えたり、運動する能力を再び使い出したのががん細胞じゃないかと。まだ証明されてはいないのですが。とにかく、第3研究室では、その動き出したがん細胞の動きを止めようという研究を行っています。

暴走するがんを止めよう!

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 ステージが進むと治り難いがんの一つに食道がんがあります。理由の一つとして、動く能力の高さがあります。食道がんの細胞たちって、やたらと動くんです。それをまず、実験室の中で再現しようと試みました。この画像は、食道がんの細胞です。コラーゲンのゲルの中に埋めていますが、周りを溶かして、すごい勢いで動き回ります。実は、細胞一つだとあんまり動かないのですが、数が集まって塊になると暴走族みたいに走り回って暴れます。ものすごい勢いで、増えながら、周りを溶かして動き出します。

――それは、細胞の出自が食道だからなのですか? たとえば消化器は大きく動く臓器だから、がん化してもよく動く、という可能性はありますか?

 それはまだ、分かりません。とにかく、食道の細胞たちは、がん化すると、やたらと動くことは分かっています。不思議ですね、本当に。
 それで、食道がんの細胞の動きを止めようという研究に取り組んでいます。
(※詳しくは、研究内容「集団で動く細胞(2)食道がん細胞の『チームワーク』を壊そう!」をご覧ください)

 まず最初に私たちがターゲットに選んだのが、インテグリンβ1というタンパク質です。ほとんどの細胞は、どこかに接着しないと動けないんですよ。当たり前のことなのですが、がん細胞といえども物理法則に支配されていますから、つまりは細胞もどこかにくっついて「よいしょ」と自分で自分の体を引っ張らないと、重心の位置は動かないんです。インテグリンβ1は、細胞の接着に使われるタンパク質のひとつなのですが、その働きを止める抗体があって、それを投与する実験を行いました。これが実際に撮影した動画です。最初はよく動いていますが、途中で抗体を入れると、動きが止まることが分かりました。

――がん細胞が周りに掴まろうとしても、手に力が入らないという感じでしょうか?

 力が入らないというよりは、手が無くなっている感じでしょうか。で、抗体を洗い流すと、また動きが復活します。このようにターゲットとなるタンパク質を見つけて、適切な薬剤を投与すれば、がん細胞の動きを止められるわけです。
こうしてがん治療の改善を目指した研究に取り組んでいます。

続きを読む「4.幹細胞の神経分化」

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