七月二十九日   (木) 曇り後晴れ

 
帰りの日。玄関にて

 今日はいよいよ帰る日になってしまった。ストックホルムに来て十七日目、あっと、言う間に過ぎてしまった。

七泊八日のドライブ旅行での変化に富んだ感動的な楽しい日々だった、又市内観光など、行動的に充実した生活だったり、政孝さんや美子の気配りが優しくて何の気兼ねもなく居心地が良かったからだろう。

南菜子も、拓海も素直な明るい良い子で色々素晴らしい体験をしながら、元気に生活して居るのをみて安心した。午前中部屋の掃除をし、帰る準備をする。政孝さんは、研究所で昼食をとるとのこと、丁度十二時美子が用意してくれた昼食を四人で食べる。

一時近く政孝さん研究所から帰って来てみんなで飛行場まで送ってくれ搭乗手続き、手荷物預けなど一切やってくれた。

 

丁度その時、日本人の親子四人連れの方が居たので、美子がその人に母が一人で日本に帰るので成田まで宜しくと頼んでくれた。其の家族は岡山県の人でストックホルムに住む親戚に滞在していたとのこと。

午後三時機内の人となる、私の席は窓際二十二ーA席で、隣の席にはビジネスマンらしい風格のある人が既に座っていた。飛行機はアーランダ空港を三時十五分に離陸する。

往く時は殆ど揺れを感じなかったが帰りは、時々大きく揺れることが多かった。成田に着くまで十時間三十分位かかり殆ど眠れなかったが、気分も悪くならず元気過ごすことが出来た。時々窓の外を覗いて見たが、暗闇になることはなく灰色のような雲と、太陽の光との水平線の美しい情景が暫く続きあとは太陽がすっかり昇ってしまった。

十時間以上も隣にいた男性からは、一言も話しかけてこなかったが、たまたま日本の新聞を広げて居たので、私の方から自民党の総裁は、渡辺美智雄さんになりそうですかと聞いたら、いやちょっと危ないね、と言ったきりだった。私は、常に話題の多い話し好きなお父さんと居るので余りにも無愛想な隣人でがっかりすると同時に話し好きなお父さんの良さをつくづくと感じた。

 

 

 成田空港へは三十日午前八時四十五分無事着陸することが出来てほっとした。荷物を引き取って待ち合い所に出た時は丁度九時、此の場所でお父さんと落ち合う約束だったので周りを捜したが見あたらず、ちょっと不安になり横浜の浩子に電話する。

お父さんから浩子の所へ連絡があって、東北地方が台風で予定していた朝一番の急行津軽が、運休になってしまい少し遅れるから心配しないで約束の場所に居るようにと言われた。案じていたおとうさんも十分も待たずに息せき切って、階段を駈け上って来たので感激一入だった。

お父さんも無事に帰国したことを涙を流して喜んでくれた。どんなに心配していたかお父さんの気持ちが良く判る。お父さんは今朝午前三時に起きて西那須野駅へ急行津軽に乗ろうとしたら運休、急きょ那須塩原へ行って朝一番の新幹線でやっと此の時間に着いたとのこと、随分気を揉んで大変だったようだ。

 浩子にお父さんと無事会えたことを連絡して、京成急行で上野駅まで、駅構内の食堂で昼食をとり、上野発十一時四十五分のラビット号で帰る。早速仏壇に花を飾って無事帰国出来たことを感謝する。

夕食は私の帰国とお父さんの留守番にお互い感謝の気持ちを込めてビールで乾杯。お父さん本当にほんとうに有難う。美子に無事帰宅したことを電話する。飛行機が離陸するのを見てから帰宅したとのこと。

 

 

 氷河から流れ出る川に掛かる橋とそれをわたる馬車。
子供らはこの道を1時間かけて歩いた。旅のハイライト。
(遠くに小さく写っているのが子供と私、拡大してみてください)
 

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