ストックホルムの朝は霧に包まれているが日中は良く晴れる。今日は日本ならば九月上旬頃のさわやかさに感じる。でも日当たりの良いところでは二十六度位にあがるそうだ。朝食後、美子が昼食を用意して、ドロットニングホルム王宮殿観光に政孝さんの運転で出掛ける。
途中メラーレン湖に架る大きな橋を渡ってドロットニングホルム島に四十分位で着く。この宮殿は、現在のスウェーデンの王様が住んでいて、建て始めてんら九十年も掛かって、今から約二百四十年前に完成した。三階建てで二百二十室もあるとのこと、そして二階と三階の一部の部屋を一般の人々が観光出来るようになっている。
又その周りを取り巻く広い広い庭園には、樹齢三百年から四百年も経つと言われる大きな樹木が生い茂り、其の下の緑の芝生がきれいに整備されて、自然の様相を残しながら起伏のあるのびやかな広がりが見られる英国式庭園と言われているとのこと。三々五々大勢の人が散歩をしたり、休んだり、食事をしたり何とも言えないゆったりした雰囲気を感ずる。
南菜子と拓海は宮殿の中の見学は呆れてしまうだろうからと、政孝さんが庭園で遊んでいてくれるというので、美子と私だけが宮殿の中を見学する。(入場料四百円)中に入って見て、正に宮殿とはこんな素晴らしいものかと驚くばかり、天井・部屋の周りの壁画・調度品等々、金銀をちりばめた豪華なものばかり、言葉で説明するのは至難の業である。
何処の国の宮殿も、又日本の宮中などもきっとこのように豪華絢爛な造りなのだろうか。特に三階の正面の大きなガラス窓から一望する庭園の素晴らしさ。又ゆっくり心いくまで娘と二人で色々話しながら、観賞することが出来て楽しかった。
外へ出てきれいな芝生でお昼を食べる、丁度池の側だったのでアヒルがよちよち食べ物をねだって寄ってきた。
帰りは宮殿の直ぐ裏側にメラーレン湖を走る定期観光船乗り場があって、それは宮殿からストックホルムの市庁舎の側まで行く航路になっている、美子と私はそれに乗り。子供たちはお父さんと車で帰ることになった。
この観光船には一時間ちょっと乗るのだが途中の景色の素晴らしいこと、夏のバカンスを楽しむヨットがあちこちに浮かび、又入り江にはヨットハーバーが何個所もあり、真っ白い帆のヨットが沢山停泊していた。
市庁舎の直ぐ側の終着所で船を降り、ストックホルム駅迄歩き駅前からバスに乗って帰宅する。有意義な一日を過ごすことが出来て本当によかった。
七月二十六日 (月) どんより雲が低くたれ込めでいる
朝のうち美子は洗濯をしたり、バスで市内まで私への土産を買いに出掛けて十二時半頃帰宅する。政孝さんは研究所へ、私と南菜子、拓海の三人で留守番、私はちょっと疲れたのて転寝をする。
午後は元気になったので、一時過ぎ美子の案内でストックホルムの市庁舎観光に孫たち四人とバスで出掛ける。この市庁舎は今から約七十年前に、十年近くもかかって完成したとのこと。二十世紀の名建築と言われ、優雅で厳粛な気品を漂わせメラーレン湖畔に其の姿を映している。北欧中世風のデザインで全体を覆う赤煉瓦の質感、ゴシック風の窓、輝かしい金色の飾り、さまざまな建築様式が取り入れられていると言う。
一階の大理石の大広間はコンサートや色々な式典などに使われ、最も有名なのは毎年十二月十日(アルフレット・ノーベルの命日)に開かれるノーべ賞授賞式後の祝賀晩餐会の会場になることである。
更に二階には黄金の間といって壁面が千九百枚もの金箔モザイクで飾られ豪華なもので、窓は美しいステンドグラス、天井には華やかなシャンデリアが幾つもついている。この部屋はノーベル授賞パーティーの舞踏会にも使われるとか。その他会議室などもいくつか見学する。
ガイドがついて、それぞれの場所を五か国語で説明をしていたが、日本語ガイドは無かったので美子の説明でなんとか理解することが出来た。日本人観光客も五・六人見かける。
そのあと、この建物に続いて直ぐ隣りに百六メートルもある高さの赤煉瓦の塔が建っている、ストックホルム全市が眺望できると言うので登ってみる。この塔の半分位までは小さなエレベーターで上がり、それから先は人がすれ違いる位の狭い通路である、内部は煉瓦が漆喰いで固められ所々明かり取りの小窓がある。
塔の頂上の天井には大きな釣鐘があって時報を知らせるとのこと。丁度頂上に登りつめたころから、雷鳴がなり響き雹混じりの雨が三十分間も降り続いて吃驚する。お陰で市内を一望することが出来なくて残念だった。
塔を降りる頃には雨も止みストックホルム駅からバスに乗り四時すぎ帰宅する。それから早速平成四年に行われた晩餐会のビデオをみせてもらった。大広間の中央テーブルに国王・王妃を中心に授賞者の席となつている。二階に上がる大理石の広い階段では、アトラクションとして音楽演奏・オペラ・舞踊などが披露されたり、二階の通路から着飾った人々がご馳走を運んでくる、華やかなパーティーの様子について詳しく知ることができた。
七月二十七日 (火) 晴れたり曇ったり
今朝は珍しく二十三階のパイロンビルの屋根まで青空だったが、時間が経つにつれて雲が広がり何時もの様に余り良い天気ではない。それは湖が多く海も近いので一日中は晴れたり、曇ったり、時雨たりの天候になりやすいのだろう。
今日もまた午後からガムラ・スタン島の観光に、昨日と同じ四人してバスで出かける。
ここはストックホルムの発祥地と言われ、王宮を中心に下町が広がっている旧市街地で、中世が今も息づいている町。曲がりくねった細い道、すり減った石畳の道、はげ落ちた漆喰の古い建物など昔の歴史を語りかけているようだ。此の辺をガムラ・スタンの銀座通りといい、細い路地の両側に狭い間口の店がびっしりと立ち並び、歩行者道路になっていて大勢の人々がぶつかり合う程の賑やかさ、色々な国の観光客でいっぱいだった。
ショッピングをする大勢の人々の行き交う狭い路上で、自国の楽器を演奏したり、面白い芸を見せたりする大道芸人が何個所かにいて更に賑やかさを増していた。その場を通り抜け、島の北側に位置する、ガムラ・スタン宮殿を見学する。今から約二百四十年前六十年近くかかって完成したとのこと、イタリア・フランスなどの代表的な建築様式を取り入れた宮殿で、代々の王室の居城になっていてたが、現王室は、王子たちにふさわしい環境へとの考えで、二十五日に見て来たドロットニングホルム宮殿へ一九八二年に居城を移したが、王様の執務は現在もこの宮殿で取り行われている。
宮殿入り口の広場には、砲台が七・八台並べて置かれ其の側に衛兵が直立不動で立っている。広場の所々にも拳銃を持った衛兵が見張りをしている。そして二時間置き位に交代するとか。特に夏のハイシーズンの週末には、美しい衣装を身に着けた騎馬兵が、音楽隊のマーチに合わせて勇ましく入場行進するとのこと。
王室内部は、約六百室あり、二階と三階の一部が一般に公開されている。ベルナドッテの間・晩餐会の間・迎賓の間などでロココ調のインテリア、豪華なゴブラン織のタペストリー・四百五十キロもあるクリスタルガラスのシャンデリア・王族の使った金銀製の器類・ガラスの蒐集品・ペルシャ絨毯等々余りにも豪華絢爛、豪奢な生活ぶりに驚嘆するばかりである。
次に宮殿の裏側に建っているストックホルムの由緒ある最古の教会を見学する。ここで王様の結婚式なども行われるとのこと。教会の中は言葉では言い表せない程の豪華さであった。帰りがけに観光の記念品を二・三買って五時頃帰宅する。
七月二十八日 (水) 晴れたり、曇ったり
今朝は八時頃起きる、ストックホルムの主な見どころの観光も昨日で終わったので今日はゆっくりする。朝食後十時から南菜子は勉強を始める、私は拓海に本を読んでやったりして居たが、疲れた感じで頭が重いので目眩の薬を飲んでベットでぐっすり寝込んでしまった。
二時頃目が覚めたら、美子の書き置きがあって、子供たちを友達の家に頼んで、買物にバスで市内まで出掛けるとのこと。食堂のテーブルに昼食の用意がしてあったので、一人で食べる。
美子三時頃帰宅。母親が帰っても子供たちは、友達の所で五時頃まで遊んでいた。
南菜子は、昨日私が、ガムラ・スタンの店で買ってやったウエストバックが気にいって、ずっとそれを付けて遊んでいたとか。
夕方朝の内に作って置いたと言う水羊羮でおいしいお茶を飲む
(此のマンションには諸外国の研究者の家族が住んでいて、二・三年位で変わるとのこと。殆どが比較的若い人たちで、それぞれのお国自慢の料理などを教わったり、教えたりして結構珍しい料理が作れるようになったとか。パンやケーキなどは自分で焼くことが多いとのこと)。
(南菜子が行っていた同じ小学校Rodaberg School、の友達、時々ベビーシッターもお願いしていた)
夕食までに時間があったので、今までに観光した所のコースや内容について、又フィヨルド観光コースと宿泊した場所や地名などを、地図に書き込んだり、更に詳しく美子に説明してもらった。美子はわざわざ手提袋を買ってきてお土産を詰めたり、浩子にやる衣類を入れたりして帰りの重い荷物が出来上がった。今夜は最後の夕食会なので、美子が色々ご馳走を作って楽しいひと時を過ごすことができた。