七月十二日 (月) 雨 のち晴れたり曇ったり

 

よいよストックホルム行きも明日になってしまった。遠い遠い北欧の地へ、たった一人ぼっちで、十二時間も、空を飛んで行くなんて夢のような冒険をするのに、何にも迷わず“あっと”という間に決断し、実行しようとする勇気と行動力に、正直言って自分自身現在も驚いている。

でもこれは、かの地に着いてしまえば、受入れ先は万全、飛行機に乗るまでは優しいお父さんが、付いて行ってくれるのだからなんの心配もないということになる。実は持病の目眩のことも気になったが、車田医院の薬も貰ったりして、健康状態も良好。

 朝八時、パーマセットに行く。午前中洗濯をしたり家の中を片付けたりして横浜へ出掛ける用意をする。今夜は浩子の所へ泊めてもらうことになるので、午後一時三十五分西那須野発ラビット号に乗る。

午後五時三十分浩子の所へ着く、久信、水疱瘡で顔じゅうふき出物、だいぶ良くなってきたとのこと。人見知りして暫く泣かれて困った。夕食はすき焼とビールをご馳走になり早めに休む。浩子のマンションは外装工事のため、マンション全体が網で覆われていた。

 

 

 七月十三日  (日)  晴   (浩子のマンション)

 

 五時に目覚まし時計をかけて起きた。お茶と軽く食事をよばれて、五時五十分、勝治さんの車で横浜駅へ、早朝だったので道路もすいており十分位でついた。お父さんに付き添われて成田エックスプレスに六時二十八分に乗り、一時間三十分かかって成田空港最終駅に七時五十八分到着。

空港内は大勢の旅行客で賑わっていた。航空券を貰うのに、カウンターが七か所もあって、ウィカムツアーのカウンターが見当らずまごまごしてやっと見つかる。スカンジナビア航空は、四十一番ゲートから出発するとのこと、一時間前に出国手続きを始めるので、柵を境にしてお父さんと別れの握手をする。いよいよ此処からは私一人になってしまった。何んとなく不安になりドキドキして手が振る。

ローマ字での名前がなかなか思うように書けずぐずぐずしていたら、その様子を柵の遠くから見ていたお父さん、心配になって乗客以外は入れない場所なのに、係りの女性に強引に頼み込んで私に代って書類を書いてくれた。本当にほんとうに優しいお父さんありがとう。此処でいよいよお父さんと別れた。

………出発三十分前に塔乗開始、胸のドキドキは高なるばかり、足元もたどたどしい感じ、………いよいよ機内に乗り込む。後部座席の二十五番席、隣り座席は、スウェーデンの青年で慶応の経済学部に一時入学して帰国するとのこと、好青年でほっとする。私は「サンキュー」と「ノー」くらいで英語は全然判らない、彼も日本語は殆ど判らずであつたが、結構身振り手振りで通ずるところもあって、やっと心も落ち着き退屈しないで機内の人となる。

又右隣の婦人が「北欧の旅ツアー」に参加したとかで、片言英語ができその青年に色々聞いたり、私にも話しかけたりした。それにフライトも殆ど揺れずに快適な空の旅となつた……ふと、「お父さんは今頃どの辺までの帰り足になっているかなあ、」私だけがこんなリッチな気分で申し訳ないと、感謝の気持ちでいっぱいだった。

機内食は、朝食と昼食の二回、これもおいしく充分な量であった。それにフライトのコースや時間、距離なども時々テレビの画面に地図といっしよに放映されるので良く理解することができた。飛行中は四時間位は起きていた。シベリヤ上空を飛んだときは、果てしない広漠たる大平原の壮大さに感激させられた。

あとの四時間は、窓の戸を締めてみんな出来るだけ眠るようにした。兎に角気分も悪くならず退屈もせず安心してフライトができた。

 今回の旅、思い切って決断して良かったとつくづく思った。

 

 アーランダ空港へ無事着陸ほっとする。

荷物は手荷物だけなのでそのまま出口へ、隣にいた青年が親切に出口まで案内してくれたので助かった。すぐ南菜子が、私を見つけて「おばあさん、こつち」と呼んでくれた時は、緊張していた気持ちがほっと解けて涙がでそうに嬉しかった。

政孝さんの運転で飛行場からマンションまでは、約二十分、自動車専用道路で四車線、道幅も広く道路の両側は、広大な牧草畠や草原が続き市街地近くになっての建造物も、高層ビルが林立しているのではなくゆったりした感じである。

飛行機の眼下に見えたスウェーデンは、緑の森や湖、河川の多い国なんだなあと思った。

 マンションに着いたのは、十四時頃。二十三階建てのパイロンビルを中心に、四階と五階の建物がぐるっと囲むように建っていて、それらをみんな含めてベネグレンセンターと呼ぶとのこと。

 今日は、拓海が熱があって具合が悪かったので迎えに出られず、お母さんと家で待っていてくれたとのこと。二年ぶりの再開、拓海も南菜子も、すっかり大きくなり、家族揃っての歓迎、本当嬉しく感激した。

早速お茶を飲みながら、此処に到着する迄の私の経過について話したり、南菜子と拓海から生活の様子を聞いたり、マンションの周囲の様子を見たり、聞いたりする。

家の中は部屋数も多く広々としており、一間幅もあるベランダがついている、これと同じような部屋が四階建で百五十戸あるという。日本ではこんな広いマンションには、私達は到底住めないね、と美子はいう。

南菜子と二人で泡ぶくぶくの風呂に入ってさっばりした。和食の夕食をおいしくいただき、疲れたので八時頃南菜子と同じ部屋でぐっすり休む。

 

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