<スウェーデンへの旅の随想>
 

花塚美津子

 

子や孫や スウェーデンの空  やかに 無事を祈りし 鹿島だちの朝

 

はちきれる 孫の電話に つまる胸 元気に発つと スウェーデンの旅

 

平成三年九月二十四日に金城一家が、スウェーデンへ転勤して行ってから、はや二年になろうとしている。

 

 平成五年七月二日(金)晴

 

午前3時30分、ストックホルムへ定期電話をかける。
相馬功一先生からストックホルムで撮った写真が届いたこと、黒羽小の朝野先生に会った時、黒磯小の「相馬校長を囲む会」の折り、美子先生がストックホルムでリッチな生活(*)をしているとのこと、などを話しているうちに、私もやっぱりストックホルムへ行ってみたくなり、前から誘いがあった、美子たちが夏休みに出かけると言うノルウェー旅行に便乗したい旨を話したら、是非おいでと言うことで、お父さんも、「私は、高所恐怖症なのでおまえが代表して孫たちの様子を見てくるように」と、快く賛成してくれた。

そして早速お父さんは、私のパスポートをとるのに関係機関に電話をしたが、パスポートがとれるまでには、七日から十日もかかると言うので、急遽スットクホルムへ電話。
私がいくまで、ノルウェーのフィヨルド旅行をまってくれるように頼み、午後一時宇都宮駅構内の栃木県旅券センターでパスポートの交

付の申請をする。受け付け番号は一八四番だった。渡航者の多いのに驚いた。パスポートは九日にできるとのこと早速行動してよっかた。

それからロビンソンの七階にある旅行センターへよって色々参考になることを聞く、六十万円から三十一万円ぐらい迄の開きがあるとのこと。そのあとロビンソンで食事とかいものをして帰路につく。

 * 決して豪華な生活をしていたわけではありません。それは部屋数の多いアパートに暮らしていましたが、貯金の持ち出しやいろいろな人からの援助を受けていました。 一つだけ言えるなら、健康や安全には気をつけなくとも生活できた事かも  (政孝) 

七月三日(土)

 

朝五時少し前、コレクトコールで美子から電話、旅行チケットはピンからキリまであるので石井の謙治さんに頼んでみてはとのこと、それで早速、浩子から謙治さんに頼んで貰うことにした。

でも今日は土曜日、明日は日曜日なので、どんなに急いでも月曜日になる。兎に角ストックホルム行きの直行便は、火曜日と木曜日しかないとのことなので、いずれかを取って貰うよう頼む。

 

 七月五日  (月) 雨後晴

 

 昨日あんなに良い天気だったのに、今朝はザアザアの雨降り、八時からパーマかけを予約しておいたので、朝のセレモニーだけして出かけた。午後十二時三十分頃までかかる。

 午後二時頃、浩子からチケットが購入出来るとの電話

 

 ☆出発 十三日(火)成田空港 午前十時十五分発

   ストックホルム・アーランダ空港 午後二時三十分着

                (日本時間 午後九時着)

 ☆帰り 二十九日 (木)十五時五分 アーランダ空港発

        成田空港 三十日(金)午前八時二十分着

 

とのこと、こんなに早くチケットが取れたのも、謙治さんが、旅行関係の会社に勤務して居たからのことで本当に有り難いと思った。

そして又、二十四万一千円也の格安で購入できるとのこと。お父さんはじめみんなの優しさと親切に感謝の気持ちでいっぱいだった。次に成田空港迄行く方法について更に相談。横浜から成田エックスプレス全席指定の予約が必要で、那須塩原駅で購入出来るとのこと、今日は生憎お父さんが出掛けているので帰りを待って、五時頃予約切符を買いに那須塩原駅へ、十三日横浜駅 午前六時二十八分発の予約切符二枚(お父さんが成田まで送ってくれるので二人分。八千二百円)を手に入れることができた。

これでいよいよストックホルム行きも決定的なものとなった。でも外国へのひとり旅での不安と、北欧への憧れとで胸の高鳴りをおぼえる。

 

 七月九日 (金) 晴れたり曇ったり、雨もぱらつく

 

 今日はパスポートが出来る日なので、八時五十分家を出発。途中衆議員選中だったので西那須野渡辺事務所へ、お父さんちょっと顔を出してから宇都宮の旅券センターへ直行する。センターで収入印紙代一万円を支払いパスポートを受領して、そのあとロビンソンデパートへ寄り私のズボンやハンドバックなど二、三、出掛けるための買いものと、南菜子や拓海への土産の本を買ったりして家路についた。
 
 

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