天然型タンパク質の立体構造解析

理学研究科生物科学専攻生体高分子解析学講座2

 

 

当研究室ではX線結晶構造解析によってタンパク質の立体構造を原子レベルで明らかにすることを強力な武器としています.しかし,実際にX線結晶構造解析を行おうと思うと様々な問題を乗り越えなければなりません.このトピックでは天然型のタンパク質のままで,さらに実験室で使用しているX線発生装置で構造解析ができてしまう新しい方法を紹介します.この方法はX線結晶構造解析法がより迅速に,安価に,簡単に行うことができる大きな可能性を秘めています.

 

1.    X線結晶構造解析法

タンパク質は生物を形作っている代表的な生体高分子です.タンパク質には無限とも言えるバリエーションがあり,化学反応を促進させるもの,他の物質を輸送するもの,タンパク質自身やDNARNAといった遺伝物質を実際につくるものなど,それぞれ様々な機能を持って働いています.このような数多くのタンパク質に共通しているのは,そのタンパク質の立体的な構造と機能の間に大きな関係があるということです.たとえば,微生物の細胞を破壊するリゾチームというタンパク質は細胞壁を構成する糖鎖をくわえ込む形をしていますし,DNAを伸ばしていくDNAポリメラーゼというタンパク質はうまくDNAを捕まえる手のような形をしています.

よってタンパク質がどんな形をしているのかがわかると非常に多くの有益な情報が得られるのです.たとえばそのタンパク質の反応をより進めたり逆に邪魔したりする物質を予測したり作ったりすることができるかもしれません.われわれの研究室の強力な武器であるX線結晶構造解析を用いると,タンパク質の立体構造を原子レベル(ナノスケール)で明らかにすることが可能です.下図にX線結晶構造解析によってタンパク質の立体構造を解明するまでの大まかな流れと代表的な問題点を示します.

このように立体構造の解明に至るまでには多くの障害が待ち受けていますが,ここに紹介する研究で対象としているのは,データ測定についての一手法です.

2.    S-SAD法と長波長X線の利用

従来では,タンパク質の立体構造を明らかにするためにタンパク質結晶に手を加える必要がありました.天然に存在する形の天然型タンパク質のままでは,いくら良質な結晶ができても構造解析はできなかったのです.位相問題のためのタンパク質改変で最も代表的なものは,タンパク質の結晶に水銀や金,白金,ウラン,オスミウム,ランタノイド原子などの重原子を,結晶の中でタンパク質に結合することを期待して溶液で滲み込ませる方法です.その重原子をいわば目印としてもともとの天然型タンパク質の結晶(ネイティブ結晶と呼びます)との「差」から構造解析を行うことが可能です.これを重原子置換法と言い,現在でも特に巨大なタンパク質の構造解析などで使われていますが,重原子溶液を滲みこませる際に結晶が割れる,元の結晶の形から大きくずれる,タンパク質に重原子がくっついてくれない(測定しないとわかりませんが)などうまくいかない場合も多々あります.90年代になって登場したのがセレノメチオニルタンパク質の調製と多波長異常散乱法です.セレノメチオニルタンパク質の調製は,タンパク質に目印となる重原子を導入できる確率を飛躍的に上げた画期的な手法です.大腸菌に目的タンパク質を作らせるときにアミノ酸の一つであるメチオニンの代わりに,メチオニンの硫黄がセレン(Se)に置換されたセレノメチオニンを与えます.メチオニンとセレノメチオンは性質が非常によく似ているので大腸菌はすりかわっていることに気付かずにメチオニンがセレノメチオニンに置き換わった置換タンパク質を作ってしまうのです.

 

 

さらに多波長異常散乱法(MAD)とは,一個の結晶に対して3種の波長でデータ測定を行い,2つ以上のデータセット間の差から構造を求める手法です.重原子置換法ではネイティブ結晶と重原子を結合させた結晶の間で差をとっていましたが,MAD法では測定波長の異なるデータセットの間で差をとります.MAD法は重原子置換法と異なり,一度のデータ測定で済んでしまう上に一つの結晶しか使わないため,ネイティブ結晶との差を気にする必要がなくなります.

セレノメチオニルタンパク質の調製とMAD法を組み合わせることでタンパク質の立体構造を解明する労力と時間は大幅に短縮され,ここ1020年の間に明らかにされたタンパク質の立体構造数は指数関数的に増加しています.

このように非常に便利なセレノメチオニル置換タンパク質の多波長異常散乱法による構造解析(Se-MAD)ですがもちろん色々不便なこともあります.セレノメチオニル置換タンパク質を大腸菌に作ってもらうときに菌が育たなくなる,作らせたタンパク質が水に溶けなくなってしまう,タンパク質の性質が大きく変わってしまう,結晶にならなくなってしまうなどの問題が起こることがあります.つまりほとんど別のタンパク質を新たに精製,結晶化しなおすほどの労力が必要となる場合があるのです.また,多波長異常散乱法の最大の特徴は一度に複数の波長を使用するため,波長の変更が可能な超大型施設,放射光施設で実験を行う必要があるということです.つまりこの手法ではいざ研究室で結晶を作ることができたとしても,その結晶を放射光施設まで運んで測定させてもらえなければ,どんなに良い結晶ができても手をこまねいて見ているしかないのです.

 

Se-MAD法よりもさらに手軽にX線結晶構造解析を行う方法としてここ10年ほど大きく進歩してきているのが,この研究で使っている硫黄を用いた単波長異常散乱法(S-SAD法)です.この方法ではタンパク質中にもともと含まれる硫黄原子を目印として構造解析を行うため,タンパク質の結晶やタンパク質そのものを改変する必要がありません.つまり天然型のタンパク質で構造解析ができてしまうのです.さらに単波長異常散乱法(SAD法)はMAD法のように複数の波長を使わずに,一波長だけで差をとって構造解析をしてしまうため,放射光施設に行かずとも実験室規模のX線発生装置でデータ測定ができてしまうのです.

 

 

そんなに簡単なら全部この方法で構造解析すればいいじゃないかと思われるでしょうが,もちろんそんな簡単にはいきません.一番大きな問題は重原子やセレンに比べて硫黄はかなり軽く小さいということです.構造解析を行うにはまず目印となる原子の位置を決定してから元との「差」を利用することは前に述べましたが,硫黄くらいの大きさでは測定誤差に埋もれてしまって「差」を明確に測定することが難しくなります.また,SAD法はMAD法に比べて一般的に高い精度が必要である傾向が強いため,硫黄を利用したS-SAD法では硫黄の小さい差を高精度で測定しなければならないという二重の困難さを伴うのです.この問題を緩和する方法として波長の長いX線を利用する方法が提唱されています.データ測定で測り取れる「差」は硫黄の場合では波長が長ければ長いほど大きくなるからです.もちろん波長の長いX線を使用するデメリットもあります.X線は波長が長くなるほど物質との相互作用が大きくなるため,余計なものの干渉を受けて測定データに悪い影響がでてしまいます.つまりMAD法よりも精度が必要なSAD法なのに長波長を使うとデータ精度が悪くなってしまうというジレンマに陥ってしまいます.そんな理由でいままでS-SAD法は,もし可能であれば非常に有益だけれどもほとんど実現不可能な,非常に困難な方法であったのです.

3.    フリーマウントツール

実現が非常に困難なS-SAD法ですが,もしもっと身近に使える方法になったとしたら,タンパク質の立体構造解析がより早く,安く,簡単にできるようになり,世界中の多くの研究者が喜ぶはずです.そこで我々はどうしたらS-SAD法がより身近に実現できるかを考えました.その結果,硫黄による「差」を大きく測定するために波長の長いX線を使いますが,波長の長いX線によって生じる測定データの悪い影響を,測定の際に一工夫することで何とか小さく抑えるという研究を行いました.その測定の際の一工夫というのがこの章で紹介するタンパク質結晶のフリーマウント法です.

フリーマウント法を説明する前にタンパク質の結晶は非常に乾燥に弱いということを知っておく必要があります.そのため,タンパク質結晶は下のような独特の方法で析出させ,液体(バッファー)の中で保存やその他さまざまな操作を行います.

このようなタンパク質結晶にX線を照射する際には,結晶をバッファーごとナイロン製のループにすくい取った状態でまるごと−180°Cの気流で凍らせます.

この方法は操作が簡単な上に結晶へのダメージが軽減されるため非常に画期的な方法です.ところが前に述べたように波長の長いX線は物質との相互作用が強いため,波長の短いX線では無視できた結晶以外のバッファーやナイロン製のループの影響が強くなって測定データに悪影響を与えてしまいます.そこで邪魔なものはなるべく無いに越したことはないと考え,タンパク質の結晶をバッファーやループ無しで,かつ結晶にダメージを与えないようなマウント方法を考案しました.この方法では凍らせる一瞬前にバッファーを吸引によって取り除いてしまいます.そのためにガラスの細い管(キャピラリー)の先端にナイロン製のループを接着した下図のような器具を作りました.この器具の使用方法は下の通りです.まず先端のループでバッファーごと結晶をすくい取ります.そして凍らせる一瞬前にキャピラリーを通じてバッファーを吸引除去してしまいます.すると結晶はうまくキャピラリーの先端に吸いつけられるので細いフックや極細ピンセットなどでループを取り除き,結晶が裸で保持された状態になるというわけです.

この方法により測定データの精度が上がることを実験により確認し,実際に新規タンパク質の構造解析に成功しました.

4.    構造解析例

それでは実際にこの方法により構造解析に成功したタンパク質を示しましょう.

@      はじめに,Pyrococcus horikoshiiという超高度好熱古細菌由来のPH1109という機能未知タンパク質です.ここで紹介した方法で解析に成功した記念すべき第一号です.結晶は立体の菱形をしていました.(144a.a, 16,7kDa

A      次に同じPyrococcus horikoshii由来のPHS023のいう非常に小さなタンパク質です.結晶はラグビーボールのような形をしており,解析の結果,2つのタンパク質分子が対で存在していることがわかりました.(83a.a, 9.7kDa×2)

B      さらにThermus thermophilusという高度高熱菌由来のTT0570というタンパク質です.今までの2つに比べてかなり大きく,タンパク質全体に対して硫黄が少なかったため解析は困難を伴いました.(603a.a, 68.6kDa×2)

C      そしてこの中では最大の大きさを持つ糖加水分解酵素です.結晶は蛙の水かきのような独特の形をしていました.(738a.a, 84.3kDa×2)

現在までにフリーマウントとS-SAD法の組み合わせを使って以上4つのタンパク質の構造解析に成功し,さらに多くのタンパク質について適用を予定しています.

5.    まとめ

一昔前ならばおよそ現実的とは思えなかったS-SAD法によるX線結晶構造解析ですが,ここで紹介した長波長X線を使った測定と結晶のフリーマウントによって現実的な実験手法と堂々と言える次元にまでなりました.これによって実験の手間が大幅に短縮できるだけではなく,改変を加えていない天然型タンパク質そのものの構造解析を行うことができるという学術的に非常に有意義な方法が現実のものとなります.特に構造解析にかかる時間,試行錯誤,そしてお金を大幅に節約できるのは研究者にとって非常に魅力的です.なぜならば一つ目に構造を解析したいタンパク質は無数にあるということです.その数は何百,何千に及ぶため.一つ一つのタンパク質にかかる労力を少しでも減らす工夫は非常に有意義なことです.もう一つの理由は,多くの研究者にとっては,構造解析は研究の中でタンパク質の情報を得るための一手法に過ぎず,それ自体が目的ではないからです.確かにX線結晶構造解析は非常に強力な方法であり,我々に多くの有益な情報をもたらしてくれますが,構造解析自体を研究対象としている研究者はそう多いわけではありません.大多数の研究者にとっては,構造解析はもちろん様々な実験から得られた情報からなにが言えるのかというさらに先の議論が中心です.ですのでこの方法によって今まで構造解析にかかっていた多くの時間と労力をそのほかの研究やその後の議論に使うことができるため非常に魅力的なのです.

 

このように非常に有益なS-SAD法ですが,フリーマウント法によって現実的な方法になったとは言え,多くの研究者に使ってもらうにはまだ超えなければならない問題があります.例えば,いくらフリーマウント法を使っても,結晶の質がある程度以上良いものでないと解析することはできません.またここで紹介したフリーマウントを行うためのツールは全て手作りであり,まだ市販には至っていないため試してみたい研究者は全て手作りするしかありません.我々は現在,次のステップとしてこれらの問題の解決に取り組み始めており,フリーマウント法と汎用化と自動化を目指しています.

 

研究者の方々へ

 当研究室ではネイティブ状態で構造解析を行うタンパク質サンプルを探しています.興味のある方は是非ご連絡下さい.特に,次のようなタンパク質を探しています.

  ・分子量の大きいタンパク質

  ・硫黄含量の少ないタンパク質

  ・セレン化,重原子置換の困難なタンパク質

  ・溶媒含量の少ないタンパク質

  ・強い反射は出るがあまり分解能の出ないタンパク質(2Å後半〜3Å

 現在までにも他研究室との共同研究で新規タンパク質の構造解析に成功しています.

 

連絡先

 当講座助教授 渡邉 信久  nobuhisa@sci.hokudai.ac.jp

                              http://castor.sci.hokudai.ac.jp/~watanabe

        学生  北郷 悠   kitago@castor.sci.hokudai.ac.jp